2022年9月10日
幸せとは
「小屋」について、色々な価値観や暮らしの変化について如何でしたか?
次の時代を予測しながら「幸せ」になる生き方について考えたり具体的なお話を書いてみました。
私は、「小屋」の考え方を凄く大切にしています。
幼い頃の「秘密基地」としての存在。
家の中で「ダンボールハウス」を作って遊んだこと。
狭いからこそ感じる「幸せ」。
工夫次第で小さいが普通と感じること。
自宅じゃなくて、もう一つの場所。
自分のことだけでなく、病める日本人を救うには。
ビジネスに活かす方法があるのでは。
別荘の概念を変えるには。
グランピングを超越した存在として長く愛される第二の居場所を探りたい。
本当に凄く「小屋」の可能性はあると感じています。
それにしても単なる「小屋」では、芸がありません。
進化したアイデアを散りばめた「小屋系」を深掘りしていきます。
さて、今日は「幸せ」についてです。
以前にも私の経験を基に「幸せ」の概念を書きました。
今回は、もう少し現実的に見つめてみたいと思います。
前回は「心が満たされた状態を維持できたら幸せである」と定義しました。
しかし、こう言われても「ピーン」とは来ないかもしれません。
崇高な思いとして感じてしまうようにも思います。
経験を重ねていくと何歳になっても「何のためにがんばるのか?」「何処に向かっているのか?」「納得する場所はどこか?」・・・・・
本当に歳を重ねても見えてこない、達成感を感じられる場所が見えないと残念に思うことが多くなっています。
楽しかった仕事や友人との日々。
家族と成長している時の感情。
少し自分の気持ちが変化してしまっているように思います。
20年以上毎月一緒にある仲間達と会を続けてきています。
始めた頃は、これほど続くとは思いませんでした。
確かに諸事情で辞めざるを得なくなった人もいます。
人生は何があるかわからない筋書きのないドラマだと言いますが、本当に何もなく日々が過ぎることはありません。
何かにぶつかり、何らかの形で乗り越えてきて今があります。
その時に、障害に対して「◯◯が悪い」と人や時や運を恨むのか?
「乗り越えられない事は起きない」と考えるのか?
「負けそうだから足を引っ張ろう。根掘り葉掘りと観察してチャンスを待つ」などといった考えをして生きるのか?
人は、基本的には弱い部分があります。
そして、楽して生きようと考えるものです。
当たり前のことです。
私は、もちろん経験から思うのですが「人の足を引っ張ろうと考える生き方」は、大嫌いです。
なぜなら、自分の人生観がそうなってしまうと思うからです。
今いる場所より高みを目指して未来に起きるであろう何かに挑戦し越えていこうと考えるならば、辛くても頑張れると思ういますし、知恵も生まれ、すべきことが明確になります。
結果が伴わなくても、と言いますか、やれば何でも上手くいくという世界などありません。
失敗したり、上手く行かなそうだったりしながら次へ次へと挑戦していくのが進化です。
足を引っ張るということは、自分の位置は変わらず、周りが下がっていくように仕向けることなので向上するはずありません。
そもそも、そんな考えや意識で生きていかなければならないので「不幸」としか言いようがありません。
心の状態がいつも「不幸」というスパイラル状態に動いていくでしょう。
「幸せ」とは、一言では言い切れませんが、今日まで歩んできて思うのは「感謝」です。
社会は、人が動かしている部分が多いと思います。
確かに自然の中に人間が介在させていただき生かされているという考えが前提になります。
つまり、自然には従って生きていくという謙虚な立場を忘れてはならないという前提があります。
それ以外は、人と人との関りで全てが成り立っています。
何かを考え実行しても、結果は人によって左右されるということです。
では、人とは何か?
感情、意志を持つ地球人です。
自分だけの我を通そうとすれば、100%が賛同するわけではありませんのでぶつかりあいがとなります。
上手くいかないから強引に自分を通そうとします。
それが、戦争となります。
歴史はいつもその繰り返しであったと言われるでしょうが、人が人とうまく理解できる部分はそうしながら寄り添い生きていくことが大事です。
絶対、自分が正しい、みんな気がついていない・・・・・
様々な感情から強引に自分の考えや意志を押し通そうとする。
果たして気分いいでしょうか?
勝ち誇り、「幸せ」と思えるでしょうか。
何か、物足りない寂しさのような感情が心の中にあるのではないでしょうか。
昔から親父に言われた言葉があります。
「無理が通れば、道理引っ込む」。
この言葉は、全てを言い当てているように思います。
「幸せ」とは、自分を通した先にあるものではないということです。
そう感じるのは、長年付き合ってきた仲間。
深刻な話をするわけでもないのですが、実は心の支えになっているということを最近感じるからです。
たわいもない会話から少し真剣な話し。
笑ったり、怒ったり、悲しんだり、喜んだり。
そんな考えや気持ちを伝えられる仲間がいる。
「幸せ」ではないでしょうか。
当たり前であって、実は当たり前ではない。
仲間がいる。
その仲間が自分の気持ちを「幸せ」に導いてくれる。
それぞれがバランスよくお互いを認め合っている。
決して「足を引っ張る?」という考えや言動はないし、もちろん意志もない。
「幸せ」とは、そんな身の回りにある物事の受け止め方関わり方によって感じる感情なのだと思います。
仕事をするときの仲間。
チームであることを忘れない。
無理が通れば・・・・道理は?
そんな気持ちを大切に「俺様」という勘違いを絶対に持たない。
人は、嫌えば嫌うほど抵抗勢力になるが、好きになればなるほど最大の味方になる。
すなわち「幸せ」になれるのか?
「不幸」になるのか?
それは、自分の考え方や行動が導く道なのかもしれません。
「幸せ」になりたければ・・・・・
どう考え、どう行動するのか?
そこにしか答えはないように私は思っています。
しかし、「幸せ」をいつもいつも実感できることは残念ながらできない。
だから「幸せ」を目指して日々考え知恵を絞り行動していかなければならないと思っています。
今回は、回りくどいような話をさせていただきました。
「幸せ」になる。
これが、人生の目的です。
では、あなたは・・・?
ご清聴ありがとうございました(汗)
今回は、少々思想のようなお話となりましたが、お許しください。
では・・・