HEAD BLOG代表 窪田のブログ

2025年7月27日

インバウンド社会における日本の住宅文化の未来を考える ―「住み継がれる家」をつくるために―

国産材の産地直送材で家を建てるという理念のもと、志を同じくする仲間たちが集う「あすみ住宅研究会」の第41回定期総会が、歴史の宝庫・奈良県で開催された。天候は不安定であったものの、私たちは東大寺や奈良の大仏、そして日本最古の木造建築である法隆寺の五重塔などを見学し、改めて日本の木造建築の奥深さと、それを支えてきた大工職人たちの技術と精神の偉大さに心を打たれました。

千年以上の時を超えてなお、凛とした姿を保ち続けるこれらの木造建築物は、まさに日本人の知恵と技術の結晶です。現代のような機械も道具もなかった時代に、巨大な礎石を運び、木材を緻密に加工し、接合し、建て上げたその偉業に思いを馳せるとき、私たち建築に関わる者が先人の努力に感謝し、誇りを抱くことは当然であると痛感します。

さて、そのような日本の建築文化にいま、世界中から視線が注がれています。訪日観光客は、かつての「爆買い」目当ての短期旅行者から、今では「深く日本を知りたい」と願う長期滞在型の旅行者へと変化しています。その傾向は、観光の目的地が都市部から地方へと分散していることからも明らかであり、実際に奈良を訪れた際にも、歴史的建築物を前に熱心にスマートフォンで撮影し、何度も感嘆の声をあげているインバウンドの方々の姿が印象的でありました。

彼らが興味を抱いているのは、単なる観光地ではありません。日本人の精神性が宿る「住まい」そのものに惹かれているのです。日本ならではの“和”の要素を取り入れた建築、日本独特の木の香り、引き戸の音、畳の感触、光と影の美しさ。こうした五感で感じる「日本の住文化」が、いまや日本人以上に海外の人々の心を捉えつつあります。中でも、日本の木造建築の繊細さと大胆さが織り交ざる様は、もはや建築ではなく「芸術」として受け止められているといっても過言ではありません。

こうした状況を前に、私たち日本人が改めて見つめ直すべきことは、「住まいとは何か」という本質的な問いであります。高度経済成長期以降、日本の住宅は「スクラップ・アンド・ビルド」の思想に支配され、短期間で消費されることを前提とした家づくりが主流となってしまいました。大量生産・大量消費の経済論理の中では、住宅の寿命は30年ともいわれ、そこには「住み継ぐ」という発想が欠落していた。しかし、その流れが限界を迎えていることは、空き家問題の深刻化や住宅資産価値の減少からも明らかです。

いま、日本の住宅産業は大きな転換点にあります。質の高い素材、職人の技術、そして長く大切に住まうという文化を取り戻すときが来ています。私たちが今こそ目指すべきは、「空き家にならない家」「住み継がれる家」をつくること。つまり、住まいを単なる「箱」としてではなく、人と人、人と自然、人と地域をつなぐ「文化」として再定義することにあります。

そのためにはまず、地域に根ざした素材と職人の技術を見直す必要がある。国産材の活用は、地域林業の活性化にとどまらず、環境負荷の少ない持続可能な建築への道を開いていくべきです。加えて、木材は日本の気候風土に最も適した建築素材であり、調湿性・断熱性・再生可能性といった観点からも、未来の建築を考えるうえで極めて重要な存在です。

また、住宅設計においても、日本の伝統的な空間構成――例えば「間」の考え方や、自然との調和を重視する設計思想――を現代にどう取り入れるかが鍵となる。過度な効率性や画一性を追い求めるのではなく、住む人の暮らしや価値観を反映し、長く愛される家をつくることが、結果的に「住み継がれる家」を実現することにつながります。

インバウンドの方々の目を通して改めて浮かび上がる日本の魅力。それは、見た目の美しさ以上に、歴史とともに紡がれてきた「精神の美しさ」そのものであるでしょう。そうした「美」を、現代の住宅づくりにどう反映させるか。私たち建築人には、その責務が課されています。

今後、日本に訪れる外国人観光客は、ますます多様化し、長期滞在や地方への移住、さらには日本の暮らしを体験することを目的とする人も増えていくでしょう。そのとき、私たちが誇れるべき日本の住宅文化が、単なる過去の遺産ではなく、「今を生きる暮らしの美」として提示されていなければなりません。

未来に向けて、日本の住宅文化を正しく継承し、深化させていくために――私たちは、先人の知恵に学び、誇りを持って、正しい道を歩むべきです。「住む」「貸せる」「活かせる」家をつくることこそが、次世代に向けた賢い選択であり、日本が世界に誇るべき“住文化の再構築”に他なりません。


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