2022年7月22日
引算 建築
私のメンターの一人「建築人」と自分を呼んでいました。
その方が、いつも良い建物は引き算建築なんだ。
余計なものを悪戯に建物に持ち込むのは邪道。
本当に必要なのか?見極める必要がある。
最初は、このおじさん何を言ってんだっ〜と思っていました。
しかし、この方ただものじゃない。
そう思えたのは、このメンターのつくった家の美しさに触れた瞬間でした。
年齢の割には感性が研ぎ澄まされていて、本当に建物自体はシンプル。
それがたまらなく美しい。
構造もバランスがいい。
木が見えている部分もちょうどいい。
出しすぎず品がいい。
独特な考え方で構造材を構成させる。
日本の昔からの真壁構造よりシンプル。
欧米のような大壁構造でもない。
部分的に柱や梁が見えてくる。
でも、見えてくる部分もあれば見えない部分もある。
アンバランスなようで不思議なのだが、美しい。
とにかく品があるし、かなりシンプル。
実は、それが「引き算建築」だったのです。
まず最初に間取りを考える。
その時、構造に無理をさせたり変則的には絶対にしない。
むしろ、柱は2間(3640mm)ピッチに配置する(四角の箱型に組む)。
その柱の間には、2×4(ツーバイフォー)に使う「スタット」を間柱感覚で入れる。
当然柱サイズと間柱としての2×4材ではサイズというか大きさが違う。
結果、2間ピッチの柱は真壁として見えてくる。
どんな間取りでも基本はこのように構成する。
わかりにくいので簡単に言うならば、構造材を3640mmピッチに配置し、箱のような構成でつなぐ。
たったこれだけのシンプルな考え方。
途中に壁が出てきても木造軸組工法のように途中に柱やはり入れない。
つまり、その壁は構造とは関係なくパーテーションのような感覚で配置するのだから構造的考えは必要ないと言った。
だいぶ前の話なので今の建築基準法ではチェックされるだろう。
しかし、理屈はわかる気がした。
その代わり、ここはこのようなデザインにしたいから特別に何かを加えるような加工を伴う手法は邪道だと言っていた。
なぜなら、本来構造上いらないものを加えるなんてコストアップだし、構造美に繋がらない。
わざわざは、だめ。
なるべくしてなる構造を生かした結果のデザインを目指す。
みなさん意味が全然違うと唾を飛ばしいつもいつも熱く語ってくれた。
つまり、わざと余計なことをするなという意味だった。
そんなものは自然じゃないから美しくもないしコストアップになることは避けるべきだと。
タイムリーにその話を聞いた時、実は意味がわからなかった。
わかったようには感じていたが、わかっていなかった。
しかし、時が経ち当時を振り返ったりノルウェーハウスのモデルハウスを設計してもらった時に、その意味が次第に理解できている自分に気がついた。
メンターの作る家は、とにかく白い壁一辺倒。
柱梁は、北欧赤松の集成材の時もあれば、国産無垢杉材の時もあった。
サッシも輸入ものの場合もあれば、国産メーカーのサッシの場合もあった。
ただ、構造の組み方や見え方はいつも同じだった。
メンターの家づくりは「引き算建築」を何より大事に考えていたことは作品を何度も見てくればわかるようになる。
木の見える量やバランスは、バランスがないように感じるが実は完全に最初から計算されていた。
だから、美しい。
余計なことをしてはいけない。
わざとこのように見せたいというわざわざは、だめ。
いつもいつも白い壁と構造材の見える分量が大切だという。
確かにその分量の木視率のバランスが絶妙だった。
何かを足さずできるだけ余計なものは持ち込まない。
これが、美だということを経験的に私は知っている。
そして、メンターは遥か昔に他界された。
メンターが残してくれた思想は、今も胸の中にある。
だから、シンプルを大切にしているのだ。
だから、普遍的美を忘れてはならないと思っているのだ。
ノルウェーハハウスの原点である木組の考え方は、縁側家族に引き継がれた。
強い構造の家を作るのなら、柱は綺麗に四隅に設置する。
その箱を連結させるような考え方をする。
これを、グリッド設計とか設計コードとかという言葉で表現し続けている。
この言葉は、メンターがつくった言葉だろうと思う。
ルール化により家は美しくなる。
そう言った教えだ。
それが『引き算建築』と呼ばれるメンターが残した教えだ。
最近は、断捨離。
余計なものは持たない。
だけど、大事なものは諦めない。
人の目も気にしない。
自分に忠実でありたいと考える。
人にも流されない。
信じた道を歩む。
それが、意味ある生き方だと言われている。
確かに今だからこそメンター「建築人」の言葉が響く。
余計なことより大切なことは、悪戯に「足さないこと」なのかもしれない。
普遍とは、極限のシンプルさであり、本物の素材をバランスよく見えるように最初から計画して構成すること。
そして、最初から無理な設計はしない。
構造に間取りを流し込むように構造は神の世界。
だから、一番強くなるような規則正しい組み合わせを考える。
そんな教えを今も窪田建設は根っこの根っこに据えている。
だから、構造としても強いし、無理がない分安心できる。
そして、シンプルさが飽きない普遍性に繋がっているように思う。
流行に流されるのではなく、基本を大切に考える。
そんな建物をこれからもつくり続けたい。
「引き算建築」に謎られた「建築人」というメンターの普遍的なメソッドを守りたい。
いつも変わらない考え方があるのだと思う。
建築や家具の巨匠と呼ばれた人たちの作品には、引き算建築の思想が感じられるのは、普遍の法則を知っていたからだろうと思う。
今回は、勝手に滔々とメンター「建築人」の『引き算建築』について、かなりマニアックにお伝えしてしまったので、わかりにくかったと反省。
次回は、もっとわかりやすいテーマで書いてみたいと思います。
失礼しました。
でわまた・・・・・