2022年12月8日
「こだわる」=『確かな選択を大切に』
こだわる
時代が先に進めば進むほど
安ければなんでもいいとはならない
確かに日本の未来は不透明かもしれない
予測しにくいかもしれない
安全値を考えて「こだわりを捨てる?」
そんな人生の道は過去もなかったしこれからもない
「こだわり」は「希望」であり「自分の意志」だから
つまり、こだわりを捨てたら「打算」の道しかない
そこそこの物が安価であったとしよう
興味ないものかもしれない物
好きになれないかもしれない物
それを無料で10個差し上げます
と言われたとしよう
次は、物が1つしかない
でも、凄く魅力的でそれなりに高価
それを少し値は張っているが購入する?
どちらかの選択しかないとしよう
二つに一つ
あなたならどうするだろうか?
この選択こそが「こだわる?」「こだわらない?」
そういう選択が生きていく道だとしたらどうだろうか?
実は、過日「東京」に行ってきた。
駅の中で昔懐かしいレトロな「ナポリタン」のメニューが店の入り口に置かれていた
いろんなお店で「昔のナポリタン」と書かれていて中途半端で昔の味でもなんでもない
何度も騙された
「これは違う」「こんなの古のレトロなナポリタンじゃない」
食べ物も本物のこだわりが無性に食べたくなる
本物の味を求める
中華そばも同じ
名前は「中華そば」と書かれていても
かつての味とはまるで違う場合ばかり
どうしても食べたいが、どこのお店でその味を満喫できるのかわからない
本物を食べたい
家も同じだと思っている
でも、家の値段と食べ物の値段では感覚が違いすぎる
そうだろうか
では、望まないものを我慢して選択したいだろうか
私は、「こだわり」を捨て去っている「妥協」でいいと思う人はいない
これは、どんな時代もそう
実際にどうするか?は、別として
人は「こだわり」を捨てたら「惰性」で生きることになってしまうのかもしれない。
人生は、実は「こだわり」のために頑張ったりする
結果を諦めていたら、頑張る意味もないし、未来への頑張る理由もなくなる
自分の意志はどこにあるのか?
人は「こだわる」ことで意味がある
気に入ってた
気に入らない
凄く大事
大切なものだからこそ「こだわって」ほしい
人生を「こだわって」ほしい
それが、ものすごく豪華なものをという事ではない
気に入ったものをである