2022年8月4日
コロナ禍 vs 祭り
「水」は「命」と直結していて「利水」「治水」という正反対の側面を持っているというお話をしました。
日頃の当たり前となった「水」のありがたさや危険性を考えることは少ないかもしれませんが、立ち止まって考えた時に今の暮らしへの感謝を感じなけてばならないと思います。
そして、先人たちの「知恵」に心から敬意を払わなければなりませんね。
コロナ感染拡大の環境がさらに広がっています。
コロナ上陸の時は、命の危険と隣同士であることからかなり神経質になりました。
しかし、時を重ねていくと人はそんな環境になれてしまいます。
確かにマスク、アルコール消毒は日常化されましたが、どこか緊張感がなくなってしまいました。
しかし、重症化しないことを前提に経済活動は止めることなく動かす。
これも大切です。
本年、3年ぶりの「上田わっしょい」が開催されました。
さすがに以前と同じ形態でというのは厳しいと判断され、主催者である上田青年会議所は、上田城址公園での開催を決意され、踊り練の数も制限し実施することとなったようです。
さらに51年続いてきた「生バンド」による演奏も最後の年となり時代の折り返し点の現れなのかな?と少し残念な気持ちになりましたね。
私たちは、「コロナ感染拡大」と「人間の生活」と闘っています。
どれが正解という答えはありません。
戦い方とバランス感覚を大切に考えています。
窪田建設もイベントや見学会は予約制を導入し、コロナ感染しない環境を最大限心がけています。
そんな配慮をしつつ、すべきことはすべきだという強い決意と準備を大切に進めなければなりません。
「上田わっしょい」も私が長い間関わってきた「祭り」です。
今は、引退して観客となっていますが、かつては仲間達と「祭り」を準備し運営してきました。
時には、祭りの端の方で警備をしていた年もあります。
神輿や踊りをやった年もあります。
生バンドとCDの合わせをしつつ上田商工会議所のひと部屋に閉じこもり音楽がづれないようにと緊張感の中過ごした年もあります。
PTAの役員をした年は、リヤカーを引いて子供やお母さん達に圧倒されながら参加した年もありました。
本当に多くの思い出が「上田わっしょい」に詰まっています。
自分の人生の大切な夏の時を過ごした「祭り」でした。
それが、3年間コロナ感染拡大を鑑みての中止。
そして、今年はなんとしても「祭り」の火を消してはならないという相当の思い出実施されました。
私も、少しだけ運営側の思いや参加者の思いを自分の目に焼き付けておきたいと考えて見に行ってきました。
なるほど、踊り練の数は少ない。
しかし、参加者は楽しそうに短い時間楽しんでいるようでした。
運営側も生バンドもイキイキしていて、思ったより住民が集まっていました。
活気があると感じました。
出店もたくさんの人が並んでいて元気な人たちの気持ちを感じることができたのは嬉しいことです。
まだまだ、コロナ禍との戦いは続きます。
なぜか「祭り」という「ハレの日」を良い変化と捉え、我々の生活に勇気と元気をもたらす料理で言うライフワークのスパイスとして、暑い暑い夏を乗り越えていけるような気がしました。
怖がっていてもダメ。
しかし、用心しなければダメ。
立ち止まることも時には必要だけど、前に進める道筋は考えて進めなければダメですね。
「コロナ禍」 vs 「祭り」
人の生活にもたらす価値や意義を考えさせられる特別な「祭り」に感謝です。
さて、皆さんはTVで「上田わっしょい」を見ていましたか?
それとも、現地に行って肌で夏の大きなイベントを感じてきましたか?
生バンドの最後の演奏を楽しんできましたか?
人が生きると言うことは、本当に予期せぬことがあります。
その中で知恵を絞り前に進む。
正に今私たちはそういう人類の歴史の中でも稀な出来事に直面しています。
そこで、人類は何を考えどう生き抜くのか?
そんな大きな宿題を言い渡されているように思います。
絶対に負けない。
強い意志と交代しない新たな道を探り歩み続けていく決意をしなければなりません。
次回は、「幸せ」な・・・について、お伝えしてみたいと思います。