窪田建設のヒデ社長-ここだけの話

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■良い家とは何か⑤

「間違った家づくり③」

~病を引き起こす住宅が大量につくられた背景~

前回は、産業化すべきではなかった住宅づくりについて少しだけお話しました。
住宅は、モノではなく住むところであり、暮らすところです。
家族の基本があり、健全に育むべき場所です。
そういう視点で次のお話もお聞きいただけたらと思います。

大量生産の住まい最短コースは病を引き起こす城だった.jpg 今回は、産業化が引き起こした新築病についてお伝えします。
以前にもご説明をしましたが、戦後の日本では量という点で住宅供給が急がれました。
そこで、住宅を産業化すべき道を進めてきたとお話しました。
実は、この地点で大工、工務店による素材に対する知識を有し、徒弟制度の下で
匠技を鍛え上げてきたスタイルが噛み合わなくなっていったのです。
特に無垢材を中心に自然素材の特性を熟知し生かしていくという難しい世界から
量産大成を可能とすることは無理であったといえましょう。
その結果、国の大きな後押しもありハウスメーカーと新建材メーカーが急激に
成長していったのです。
今現在でも世界に類のない現象です。
実は・・・・

 


この歩みの中で起きてしまったといえるのが新築病ならぬシックハウス症候群
という今まで聴いたこともない病気です。
実は、今まで住まいづくりの素材といえば無垢材を中心とした自然素材でした。
しかし、大量生産を可能とするためには、これほど扱いにくい素材はありませんでした。
自然の恵みは、個性があります。
含水率が高くなると膨張します。また含水率が低ければ反ったり割れたりします。
日本のように明確な四季は、ある種やっかいです。
そこで、変化しにくく、汚れにくく、傷つきにくい自然素材のイミテーションを作り出し
これを建築資材としていきました。
例えば、見た目が綺麗な室内ドアなどは、(インドネシアなどの通称ラワンといわれた
木をかつら剥きした極うす板状のものを接着剤で重ね合わせ、一定の厚さにとし
ドアの心材にし、その表面に木目印刷した樹種を貼り付けたもの)フラッシュドアと
名づけられたものを使います。
コストダウンと扱いやすいという考え方から生まれた新建材によりつくられる住まい。
これこそが大量生産向きの住まいの定番となっていったのです。
勿論、以前のように自然の中にしばらく放置して天然乾燥をしてから家の構造を安定化
させる過程は必要ありません。素材を適材適所に使い分ける目利きのプロも必要ありません。
つまり、素材の特性を知り生かす知識や技量は必要ない家づきりに変わったのです。
ところが、新建材でできた住まいに暮らした人たちの中から「はきけ」「めまい」「頭痛」
などを訴える人が増え、新たな病気が誕生していったのです。
特に厄介だったのは、体の弱い老人や子供が多いことも社会的問題に発展しました。
特に学校建築で児童、生徒らが体調不和を訴え事の重大さが浮き彫りになったことは記憶に
新しいところではないでしょうか。

勿論、現在は新たに特定化学物質を指定し一定濃度を超えるものは使わないように決まり
が出来ました。また、公共物件完成時には検査も義務付けられました。

こういう背景があったということをご存知だったでしょうか?

過ぎてみると騒ぎは沈静化しています。しかし、大変なことであることは今も変わりないのです。

さて、次回は元姉歯一級建築士建築物構造偽装事件の真相に触れ、検査や実情の不備について
触れたいと思います


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■良い家とは何か④

「間違った家づくり②」

~産業化が住宅産業の基盤を破壊した~

いきなり、大胆な日本の住宅政策にメスを入れてしまいました。
”2ちゃんねる的”と思われてしまったでしょうか?
しかし、客観的に歴史を振り返ることは今の時代だからこそ出来る冷静な視点です。
けっして傍観者ではありませんし、批判が目的ではありません。
ですから今回も少しだけお付き合いくださいね。

ご存知の通り、日本は製造業の国といえます。
つまり、素晴らしい精度とローコストで大量生産することが得意な国です。
しかし、住宅の性質や住宅に求めるものという観点からいうと「量」を求める手法でつくるべきものが「住まい」とは言えない気がしています。
戦後という特殊事情が生んだ苦肉の策が住宅の量を追求した政策だったといえるでしょう。

木曽檜の芽(天然の檜だけを木曽檜と呼ぶ)赤沢自然休養林より.jpg

なぜ、住宅を悪戯に産業化すべきではないといえるのか。
それは、産業化されたことである種、住宅を間違った方向に導いてしまったと考えているからです。

住宅は、「使うもの」ともいえますが、やはり「住むところ」と表現したほうが正しいですよね。
ところ”と表現するわけですから、人間が営む場所であり、環境のひとつを意味します。
生活基盤として生きる最も大切な場所です。
この環境が、安ければいいということでもないでしょうし。
また、傷つきにくかったり汚れにくかったりすることが重要でもありません。
ましてや、生産工場でもないわけですからスピーディーに暮らしを営める
高い利便性を必要以上に求めるところでもありません。
安心して、健全に暮らすことが出来る場所であって欲しいと願うはずです。

 


同じものを沢山つくり安くすることが最大で最終目的であれば産業化は大切なことです。
しかし、住むところをつくるには感性と人が生きていくために大切な要素が包含されていなければなりません。
もっと、もっと人のことを労わり、考え、工場生産に不向きな自然素材を多用する環境が重要なことなのです。

そういう意味で、少し違った道にそれてしまったと思っているのです。

ちなみに世界広しといえど住宅づくりを産業化した国が無いのも納得できるのではないでしょうか。
あの、合理主義や経済優先主義のアメリカでさえ住まいに対する考え方は日本のような報告には向かっていないですし、今後もその兆しはありません。
ましてや、精神的にも先進国といえるヨーロッパなどは「豊かさ」を大切にし重んじています。
その延長線上に自動車や家電と同じような土俵で住宅を捕らえていないのが良いお手本かもしれません。
つまり、世界共通の認識として『住まいは聖域だ』と考える認識があるからなのでしょう。

次回は、産業化の弊害である現代新築病などといわれる日本の住宅についてをお伝えします。


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■良い家とは何か③

間違った家づくり①

~住宅政策が生んだ弊害~

前回は、ビンテージハウス=古民家が持つ大きな魅力と価値についてお伝えしました。
今回からは、間違った家づくりについて触れていきたいと思います。
その整合性がわからないと感じられていますでしょうか?
次第にわかっていただけると思いますのでしばらくお付き合い下さい。

住宅政策の結果.jpg

住宅の量を求めなければならない事情が日本にはありました。
これが、他国に例のない日本固有の住宅建築政策といわざるを得ません。
つまり、戦後の焼け野原に大至急住宅を相当数作らなければならない事情が発生してしまったのです。
質より量が重要な時代だったのです。
勿論、この結果「内需拡大」「景気対策」「雇用対策」へと繋がっていったのですから結果オーライ!といえるでしょうか。
実は、この政策は2003年の「住宅基本法」が制定されるまで続いてきたのです。
その結果、住宅に対する価値意識が他国と比較して大幅に変わった感覚が生まれ育ってしまいました。
だからといってすべての住宅やすべての工務店、住宅会社が同じ認識で住宅をつくり続けたわけではありません。
疑問を感じに本の住宅政策に一石投じた人たちもいるのです。
そこが、救いといえるのかもしれません。

量は質を失ったのか?

そんなお叱りを頂くかもしれません。


これは、住んだ感じ方です。
価値感とは皆違います。
しかし、価値感とは時代や暮らしの変化で変わるものでもあります。
もう一度お伝えします。
「住宅基本法」を今更に国はなぜ制定しなければならなかったのでしょうか?
この問いは、大きな意味を持っています。
そして、大きくハンドルを切ったことを意味しています。
自由経済に任せていたのにも拘らずです。
それは、偏に”姉歯元一級建築士の構造偽装事件”が発端であり、”ヒューザー倒産劇”が
行き過ぎた振り子を戻そうという決定的な意思の表れなのだと思います。
「量」を否定し「質」を優先する正反対の政策を打ち上げたのですから。
お分かりになりましたでしょうか。
瑕疵担保10年間の義務化を強制したにも関わらず、法整備を怠ったのです。
会社が倒産すれば義務は泡と消えることを実証して見せたのがこの事件ですね。

あなたは、量から質の変換がなされている真意をどうおもわれたでしょうか?

次回は、「産業化と住宅」についてお伝えします。


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■良い家とは何か?②

良い家」についての基本的な定義とまでは行きませんでしたが、大切な要点をいくつか項目出しいたしました。
自分にとっての「良い家」が何なのかがわからずして家づくりを進めることはある意味危険性を感じます。

さて、前回「民家」という切り口から「良い家」を探ると申し上げました。
そこで、触れていってみたいと思います。

民家.gif   

ここ数年、民家再生が俄かにブームとなっています。
費用だけいえば、新築よりも出費を覚悟しなければなりません。
ですから、民家をリフォームすれば目先の費用が少なくて済むと考えて民家再生を決意する人などいないはずです。
実際に民家再生にチャレンジする人は希少でしょうが、見学会を開催すると人が押し寄せます。
これぞ行列の出来る民家再生見学会という話になります。
なぜなんでしょう?
実は、ここに大きな「良い家」を手に入れる大切な何かが潜んでいるはずです。
おそらく潜在的な憧れのような価値感と本質的なものへの敬愛が行動させるエネルギー源でしょう。

前回の「良い家」の要因を思い出してください。


 


・強い家で、いつまでも美しいと思える家。
・資産価値があって、それが愛情を持ちながら維持される家。
・家族が豊かで楽しく健全に暮らしを育める家。

いかがでしょうか?

この文内に「民家」への敬愛のポイントがあることにお気づきになったのではないでしょうか。
実にすべての要素が「民家」には包含されていたのです。
無意識に人々は、DNAに刻まれたであろう琴線に触れる「何か」があることに気づきます。
もう一つ「民家」でなければ感じ取れない重要な要素があります。
それは、強烈な古さです。
地域の気候風土の中で修練されてきたトラディショナルなデザインとでもいいましょうか。
ビンテージ物だから価値を感じる「古さ」。
一過性の流行にありがちな単に新しく奇をてらったデザインや色彩からは感じ取れない深く胸を締め付ける味わいという美。

{ビンテージハウス=民家}

良い家」を考える原点に「民家」があります。
日本の歴史が選び上げてきた絶対的なデザインや色彩の魅力と時代をしっかりと生きながらえる構造。
まずは、本物だけが持ち得る絶対的な価値を持つ「民家」を家づくりの出発点に据えることこそが、大きな間違いや後悔を伴わない住まい造りに繋がることを念頭に置いてみることをお勧めしたいのです。

それでは、次回は「間違った家づくり」を具体的に書いていきたいと思います。
そのことにより、今まで気づかなかったこと見えていなかったダークサイドの部分や理由を知ることで自分なりの良い住まいづくりが見えるはずです

 


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■良い家とは何か?①

良い家が欲しい!

誰もが同じ願いを言葉にします。
当たり前の話だと思います。
では、良い家とはどんな家でしょうか?
何回かに分けて一緒に考えていきましょう。

<strong>良い家とは?</strong>.jpg  

良い家の考え方は「住まい手」と「つくり手」との間で整合性が取られ生まれる住まいです。
ですから、固定したものではないと思います。
いかがでしょうか?
コストパフォーマンスのみを優先する家を良いと考える人もいます。
断熱工法に優れた家を良い家と考える人もいます。
どれを否定するものでもありません。
ただし、色々な切り口からどんな暮らしを手に入れることが出来るのか?
そういうことを考えてみることに一番の意義がある気がします。
このプロセスを踏まえないで一点突破でつくられた住まいが良い家と思えるのか?
その答えは、住んでからしかわからないでしょう。
これでは、遅すぎます。
大金を投下して後悔することは絶対に避けるべきなのですね。
そこで、姿かたちや工法を考える前に抑えるべきキーワードを最初に掲げておきたいと思います。
これは、最後まで忘れないで置くべき重要なファクターです。

強い家で、いつまでも美しいと思える家。
資産価値があって、それが愛情を持ちながら維持される家。
そして、一番重要なのは、家族が豊かで楽しく健全に暮らしを育める家。

いかがでしょうか?
違いますか?
このような住まいこそが、求めるべき良い家の条件ではないでしょうか?
そこで、この点を考えて見たいと思います。

次回は、「民家」と「良い家」との接点について触れてみたいと思います。

 



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